事業で失敗した跡取り息子の再起をかけた戦略に父は大激怒
小さい頃から父の会社の事業戦略や人材雇用の課題を聞かされて育った。親だけではなく親戚にも起業経験者が複数いて、起業は身近なものだった。小学校3年生の時、祖父母や親の前で諸岡さんが「将来はJリーガーになりたい」と発表したところ、全員から「そんなものはだめだ」「許されない」「おまえは後を継ぐのだ」と猛反対された。
諸岡さんの父の事業は機内食の製造工場や予約センターなど航空会社の業務を請け負うもので、人材をいかに効率的に調達して成果を出すかが重要だった。卒業後は家業に役立つように、人材系企業に就職して人材派遣の営業職を経験した。就活では「家業を継ぐので3年で辞めるつもりですが、いいですか」とあらかじめ申告したところ、「そういう人こそ歓迎だ」と言われた。
短い社会人時代はちょうど社会がリーマンショックに襲われたころ。営業で客先を回っても「こんなご時世に雇えるわけないでしょ」と一蹴されるばかり。タイミングが悪かったのもあるが、やはり経営者ではなく社員だとどこか「息苦しい。自分に合ってない」と感じた。それほど早い段階から自分のあるべき姿は経営者だと思い描いていたのだろう。
既定路線通り、数年就業した後に父の会社に合流した。すぐに「親父を見返したい」という野望がふつふつと沸いてきた。というのも、以前から「創業者が最も偉大なのだ。跡継ぎは楽だ」と言われていたからだ。継承ではなく超越を目指した。
ある時、新規事業を任された。求人のためのWebシステムを構築しようとしたところ、うまくいかず投資資金の2000万円が半年で水泡に帰した。痛い失敗を通じて諸岡さんはこう考えた。「今回は失敗したが、これからIT活用は不可避だ。毎回システム構築を外注していたら、コストがかかる。失敗するリスクもある。それなら自分が確実に作れるようになればいい。」
そうして大胆な提案を父に申し出た。「……だから、1年間休業してプログラミングの学校に通いたい」
後継者が損失を出した上に長期休業の申し出を聞いて父は大激怒。諸岡さんなりに熟考した戦略であり、二度と同じ失敗を繰り返さないためでもあったが、さすがに父にとっては想定外ですぐには理解が及ばなかったのだろう。とはいえ、休業は許可された。諸岡さんは「親父はいい人なので」と言う。息子の本気を父は信頼したのだろう。