Computerを計算手と訳す時代があった
1840年頃、大政奉還は1867年なので江戸時代末期。欧米の先進諸国ではオフィスワークが始まっていた。電卓も無い時代に帳簿付けをしたりするのだから手計算が主流だ。
その頃の日本は江戸時代。商人は「そろばん」を器用に使いこなし、割り算、かけ算までもいとも簡単にやっていた。しかし、そろばんの無い欧米では計算手と呼ばれるプロフェッショナルは対数表に代表される数表から計算を単純化し大量の計算をこなしていた。
大量生産の始まり
江戸商人を例に出してしまったので小商いを想像するといけない。少し時代は後になるが1900年代にはフォードは既に大量生産ビジネスを開始している。
a1 x a2 x a3 …a100000 を手分けして計算する。その効率を上げるために対数表を使うのだが、計算表を作る作業自体も大量の計算手が必要となった。そして計算表の印刷誤字やそもそもの間違えも沢山あった。そのような潜在的バグで計算の精度も上がらない。計算機普及前。これから計算エンジニアの時代が始まる。
データ処理を手分けして行う
前出のような単純なかけ算を例に出すと当時の計算手から怒られてしまう。関数電卓も無い時代に化学薬品会社は既にあったし、天文学の軌道離心率の計算だってやっていた。数学を学んだ多くの学生がエンジニアとして企業に就職したのだから、計算は高度に発展しComputer職(計算手)は最先端の仕事だった。
対数表や三角関数表などを作り計算を単純化させ効率化を計る。結果として計算は単純な足し算引き算だけで済むようになる。その表さえ持っていれば簡単にあらゆる計算に対応できる。そして給料の高い計算手から安い計算手のParallel処理に取って代わる。
数字だけじゃ満足できない
数字の羅列を見ていたらチャートを書きたくなる。対数グラフ用紙も発明された。データひとつひとつを升目にプロットしていく。方眼紙を使ったチャートの全盛時代が始まる。計算手がParallelで計算した結果をプロットするのだからサイズも相当大きい。そしてデータ分析という作業が形になり始める頃だ。
はじめてのコンピュータグラフィックは1950年頃、第2次世界大戦後の米ソ冷戦時代にミサイルの弾道計算として描かれた。Human Computerの弾道チャートの正しさを証明するためにMachine Computerを模索した時代だ。
そこから話は50年程遡るが対数表の計算を行う”機械”としてチャールズ・バベッジの歯車式コンピュータのプロトタイプが作られた。正確にはチャールズ・バベッジ自身が試作をしているので、彼の死後に再試作された。その後のMachine Computerとバベッジの計算機械は全く違う物だが、1945年にフォンノイマンにより発表されたEDVAC論文の「あらゆる計算式に対応するComputer」という”計算機械”を解説する点では同じだ。大雑把に言うと「それを0/1のディジタルで実現するのか?」「歯車とギアで実現するのか?」という所(コンセプト)だけが違う。