中小企業向け担当営業からキャリアをスタート
佐藤さんが高校生の時はちょうど「マイコン」が流行り始めた頃。周りにはプログラミングを楽しんでいる友人がいたが、それに加わることなく、横目で眺めていたという佐藤さん。マイコンブームには乗らなかったが「漠然とこれからはコンピュータだろう」と思い、大学は東京理科大学の情報科学科に進む。大学時代はNEC PC98シリーズが全盛期、個人でもPCを持つ人が増えていたが佐藤さんは大学でパンチカードやテープを使う汎用機の世界にいた。
就職時はかなりの「学生の売り手市場」、そんな中「大手企業に入れればいいかな」と考え、国内IT系大手企業の数社とIBMに応募する。その中で面接時期がもっとも早かったのがIBMだった。IBMで面接をすると、すぐに内定の連絡が。こうして佐藤さんは、他の会社は断り就職活動を終了してしまった。「IBMよりも他の会社の面接日程が早ければ、そこに就職していたかもしれません」と振り返る。
IBMでは当時の大和研究所の人から面接を受けており、そのままそこに配属される可能性が高かった。とはいえ、大学のキャンパスも都会から離れており、就業場所も都会ではないのがいやだった。そこで当時流行りだしていた「SE」になって現場に出たいと主張することに。結果、配属されたのはなぜか本社の営業部門だった。情報学科出身の営業担当は、当時かなり珍しい存在だった。
とはいえ、特に違和感もなく営業の仕事をしていたという佐藤さん。所属したのはゼネラルビジネスという部隊で、従業員数1,000人以下の企業を対象とする組織だった。当時のIBMでは、大手金融機関の担当が営業の花形。1つの大手都銀担当だけでも40名くらいの営業担当者がいた。しかし、金融営業に配属された新人はなかなか顧客に直接対応する機会はなく、主な仕事は先輩社員のサポートだった。一方、中小企業担当の佐藤さんは端から企業の社長に直接対峙し、ばりばりと営業活動を行うことになる。
「案件規模は数千万円からせいぜい1億円程度で、IBMの中では小さいほうでした。とはいえ、デシジョンメーカーである経営者に直接プレゼンテーションをして買ってもらう。これは貴重な経験でした」(佐藤さん)
営業活動を通じて経営者がどのように物事を判断するのかが手に取るように分かった。さらに中小企業には多様な経営者たちにも数多く出会うことができた。営業キャリアを積むには恵まれた環境だった。
14年弱という長い時間をIBMの営業として過ごし、マネージメントの仕事も経験した。そんな佐藤さんの営業成績はかなり良好で、2000年にはIBMの営業担当ではもっとも栄誉ある「セールス・オフィサー」の賞も取った。